16日、午前10時から、議会運営委員会を傍聴。明日の12月議会最終日の議会運営などについて話合われましたが、矢島議員と大沢議員と私の共同で提出した?「自衛隊を危険なイラクに派遣しないことを求める意見書案」?「日米地位協定の抜本改正を求める意見書案」?「民事訴訟における弁護士報酬敗訴者負担制度導入の見直しを求める意見書案」の3つの意見書案はすべて日の目を見ないことになってしまいました。?は公明党自民党の反対、?、?は自民党の反対で議会に上程できずです。特に?は自民党でも乗れるように最大限譲歩した内容になっていたのですが…。残念です。

今日16日の朝日新聞、読売新聞の朝刊の多摩版に、昨日、私が市の「入札事件再発防止調査委員会」へ提出した公開質問状のことが伝えられていました。この調査委員会は私などが不十分であると市側に詰め寄ってきた結果少しずつ改善がはかられているものの、今回の入札談合・汚職事件を見逃し、未然に防げなかった市役所幹部たちが中心の調査委員会だけに、身内に非常に甘く、私から考えるとごく当たり前の調査も、何度も何度も追求しないとやろうとしない始末(以前の日記にもそのことは書いてありますので見て下さい)。これからもこの調査委員会がキチンと機能するように監視し、その情報を私のホームページなどでお知らせし、市民の皆さんと『情報共有』をはかっていきたいと思いますのでご期待を。

夕方から14日に逝去された小川武満先生(平和遺族会全国連絡会代表)のお通夜にあたる前夜式(キリスト教)のために神奈川県愛川町の愛川聖苑へ。医師であり、牧師であり、平和遺族会をはじめ様々な平和運動に取り組んでいらっしゃった小川先生を偲ぶ方々が大勢詰め掛け、前夜式はあと同じ部屋が2つないとすべての人が入りきらないほどの人が集いました。

平和遺族会全国連絡会の事務局の佐々木さんが弔辞にあたる小川先生との思い出を話された時は、頬に熱いものがとめどなく溢れだしていました。佐々木さんの話は、小川先生が靖国神社を参拝しようとした中曽根首相(当時)の前に飛び出し、警察に連行されたこと。韓国や在日の従軍慰安婦だったオモニの前で土下座して、自分を含めた旧日本軍の過ちを謝罪したこと。その従軍慰安婦の方々が戦後補償を求めて国会前で断食(ハンスト)をおこなった時も国会に駆けつけ、共に断食をしたこと。健在であれば、現在も、今までのように首相官邸前で声を荒げて、小泉首相に戦争を体験した立場から、その怖さを諭すように強く抗議していただろうとも…。その話を聞きながら、走馬灯のように小川先生との思い出が頭の中を駆け巡りました。最後のお顔を拝見させてもらいましたが、とても穏やかな表情をされていました。小川先生のご遺志を少しでも継ぎ、今後も同じ平和を求める志を持って行動したいと心に刻みました。

前夜式の帰りの電車の中、たまたまもって来ていたスティービー・ワンダーの曲を聴いていると『ステイ・ゴールド(STAY GOLD)』という曲が流れてきました。
   

   こんなにも
   はっきり思い出がみえる
   そしてあなたがそう言うのなら
   思い出もそうであろう
   消えてなくなっても一筋の光を残して
   輝いている

という歌詞があります。改めてご冥福をお祈りします。