私も参加させて頂いている平和遺族会全国連絡会代表の小川武満先生が昨日の未明に亡くなられました。享年90歳。医師であり、牧師でもある小川先生は、神奈川県津久井郡の「無医村」に住まわれ地域医療に尽力されながら、軍医としての自らの戦争体験の反省から非戦平和の運動を貫かれてきた反骨の人です。

平和遺族会全国連絡会は、1985年の中曽根首相の「靖国神社公式参拝」に抗議して、86年に結成。戦争によって二度と戦没者や遺族をつくってはならない、二度とアジアの民衆を殺してはならない、加害者にも被害者にもならないと、戦前・戦中に軍国主義の精神的な柱となり、戦後も戦争を美化する役割を果たしている靖国神社への首相・閣僚などの公式参拝に反対して、毎年8月15日に靖国神社までデモ行進するなど活動を続けてきています。

私が小川先生と出会ったのは1992年の学生時代。PKO(国連平和維持活動)法案の反対運動の中でした。戦後初の自衛隊の海外派兵を許してはならないと運動が盛り上がる中で(当時は菅直人民主党代表がこの法案を採決させまいと委員長席に突進しマイクを取り上げようとしていましたっけ)、私はその時の市民運動の中で知り合った仲間たちと「憲法を活かす学生の会」を結成。評論家の佐高信さんや当時参議院議員だった國弘正雄さんなどを講師に迎えて講演会を大学などでおこなっていたのですが、小川先生もその時お招きして講演をして頂いたのです。

小川先生の教会で「学生の会」の合宿させて頂いて、先生の戦争中の体験をお聞きしたこともあります。普段はとても穏やかな口調でお話になるのですが、自らの戦争体験を語られ、二度と再び戦争をしてはいけないと訴える時は声を荒げ、ものすごい迫力で、聞く者の魂をとらえます。敗戦時に北京第一陸軍病院軍医中尉だった小川先生は現地除隊し、北京の貧民街で中国民衆の医療伝道を始め、日本軍の戦犯容疑者の診療にもあたったそうです。その時日本人戦犯死刑因から遺書をあずかった話は今でも私の心に刻まれています。その遺書には「銃殺刑を前にして遠く祖国のみなさんに訴う。靖国侵略戦争を反省各国にお詫びする神社にして下さい。『英霊』『勲章』は拒否します。戦争で日本軍は大変悪いことをしました。私たちに殺された中国人遺族の皆様には申し訳ない。『聖戦』ではなく侵略であります。天皇陛下も侵略を各国にお詫びしてください。お詫びは恥ではなく、日本の良心です。日本はかつてのドイツにならぬよう二度と武器を持たないで下さい」と書いてあったそうです。また、ベトナム戦争時、べ平連(ベトナムに平和を市民連合)がおこなっていた米兵脱走兵援助運動の中で、先生が黒人脱走兵をかくまったエピソードも忘れられません。

くしくも、イラクへの自衛隊派兵が強行されようとしています。今日は、午後5時半から、ワールド・ピース・ナウの呼びかけで国会前でおこなわれた自衛隊イラク派兵反対の運動に参加してきましたが(約450人が参加)、これからも、小川先生のご遺志を少しでも受け継ぎ、行動していきたいと思います。

  心からご冥福をお祈りいたします。