12月8日と、加藤周一さんの言葉と

 今日は、敬愛するジョン・レノンが死んでしまった日(1980年)ですが、日本がハワイとマレーに奇襲攻撃をかけて破局に向かう戦争へと突入していった日(「太平洋戦争」へと突入した日、1941年)でもあります。

 日本人はハワイの真珠湾攻撃を知っている人は多いけれども、同時にマレーにも奇襲攻撃したことを覚えている人は非常に少ない(忘れている人が多い)のが実情だと思います。

 また、先の大戦では原爆やB29による日本各地への大空襲などのよってアメリカに負けたと思っている人が多いようです。しかし、日本は、1931年の満州事変を発端として1937年に中国全土への侵略戦争(日中戦争)を仕掛けて、中国からの強い抵抗や反撃にあい、戦争は泥ねい化。東南アジアに資源を求めて戦火をさらに拡大していきましたが、その場その場で強い抵抗にあい、中国・アジア側に膨大な被害を与え、虐殺などを繰り返し、数多くの中国やアジアの人々の命を奪うとともに日本兵も戦死して大きな犠牲を払いました。すでに国力・戦力を疲弊させていたことを考えると、決してアメリカだけに負けたのではなく、実質的には中国を中心とするアジア諸国に負けたと言っても過言ではありません。

 ですから、「太平洋戦争」というよりも「アジア・太平洋戦争」「アジア太平洋一五年戦争」という呼び方の方が、実情・実態に合っていると思います。そもそも「太平洋戦争」はアメリカ側(連合国側)からの呼び方。この「太平洋戦争」という呼び方は日本が中国やアジア諸国に犯した侵略戦争や侵略行為を希薄化(忘却化)し、アメリカに負けたという日本人の意識を助長するように思います。端的に言えば、日本人の戦争に対する被害者意識だけを強調し、加害者意識を希薄化してしまう惧れがあり、事実そうなっているのではないでしょうか。

 とにかく、前航空幕僚長の何某のように、過去の侵略戦争を正当化し、村山談話さえ逸脱するようなことを在任中に堂々と述べて憚らない「歴史ゴマカスオヤジ」が跋扈する状況を絶対に許さないという世の中にしなければなりません。(また、このような偏った人が頂点にいる航空自衛隊の末端の隊員たちが気の毒でなりません)。

 過去に目を閉ざさず、現在に盲目とならず、この言葉を心に刻んでいかなければと思います。

 先日(12月5日)、評論家で作家である加藤周一さんが89歳で亡くなられました。個人的に言うと、私が加藤さんを知ったのは浪人時代で、大学受験を小論文で受けようと思って、新聞にそれなりに目を通すようになって、朝日新聞の夕刊に連載されていた「夕陽妄語(せきようもうご)」を読んだ時でした。まだ18、19歳の時でしたので、その文章や使われている言葉は難しいものも含んでいましたが、言わんとしていることはなぜかよくわかったような気がして、この人はすごいと思ったのを思い出します。それ以来加藤周一さんのファンだったのですが、晩年は作家の大江健三郎さんや哲学者の鶴見俊輔さんとともに憲法9条を守るために『九条の会』を設立して発言や活動をされていたようです。

 加藤さんの自伝的回想録『羊の歌』には戦死した友人に思いを馳せ、二度と戦争をしてはならないという精神が流れています。「羊のようにおとなしい沈黙をまもろうと考えたとき」その友人を思い、発言を続けたという加藤さん。

 加藤周一さんの言葉も胸に刻みたいと思います。

 心からご冥福をお祈りします。合掌。