8・4石原都知事に靖国神社参拝の中止を求める市民の集い 

igaken502008-08-04

 8月4日に東京都庁・議会棟の第1会議室でおこなわれた「石原都知事靖国神社参拝の中止を求める市民の集い」に参加してきました。

 この市民の集いは、政教分離の侵害を監視する全国会議、日本キリスト教協議会NCC靖国神社問題委員会、平和遺族会全国連絡会の3団体が呼びかけて、他の48団体が賛同しておこなわれたもの。私が会友として参加している西東京平和遺族会も賛同団体の一つです。参加者は約50人でしたが、民主党共産党生活者ネットワーク、市民自治93、市民の党(同僚の伊沢けい子都議)の5人の都議からも賛同の発言やメッセージがよせられ、石原都知事に参拝を中止するように求める声明を知事あてに提出しました。

 石原都知事は2000年以降8月15日に靖国神社に参拝を続けていますが、宗教法人の「認証」の手続きに責任を持つ都知事が一宗教団体・宗教法人である「靖国神社」に参拝をすることは、日本国憲法第20条の「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」という政教分離原則に明確に違反するものです。ゆえに、都知事の参拝は憲法99条が公務員に義務付けている憲法の尊重擁護にも抵触しています。どうしても参拝したいのなら、都知事を引退し、公人としてではなく、私人として参拝することをお勧めします。


 哲学者の高橋哲哉さんは著書『靖国問題』で

≪先に、戦死者を出した遺族の感情は、ただの人間としてのかぎりでは悲しみでしかありえないだろう、と述べた。ところが、その悲しみが国家的儀式を経ることによって、一転して喜びに転化してしまうのだ。悲しみから喜びへ不幸から幸福へ。「遺族感情」が180度逆のものに変わってしまうのである。−−−中略−−−決定的に重要なのは、遺族が感涙にむせんで家族の戦死を喜ぶようになり、それに共感した一般国民は、戦争となれば天皇と国家のために死ぬことを自ら希望するだろう、という点である、遺族の不満をなだめ、家族を戦争に動員した国家に間違っても不満の矛先が向かないようにしなければならないし、何よりも、戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命を捧げようと希望することになることが必要なのだ。−−−中略−−−これこそ、靖国信仰を成立させる「感情の錬金術に他ならない≫

と述べていますが、私は中曽根、小泉元首相や石原都知事のように公人でありながら靖国神社を「公式参拝」しようとする人たちには、この「感情の錬金術」としての靖国神社という「装置」を政治的に利用しようという思惑を感じざるを得ません。


 今年も、戦争という過去に目を向けて、平和について見つめなおす暑い季節になりました。

 上記の高橋哲哉著の『靖国問題』(ちくま新書)と手塚治虫著のマンガ「墜落機」(『ザ・クレーター2』秋田文庫)をお薦めします。

 前者は靖国という問題を、感情の問題、歴史認識の問題、宗教の問題、文化の問題、国立追悼施設の問題という側面から論理的に明らかにし、その問題を哲学的な論理で解決していこうと試みた論考。後者は敬愛する手塚治虫先生が日本の軍国主義と「靖国」をモチーフにしたと思われる、生きながら「英霊」・「軍神」にされてしまった男=オクノ一等空曹がたどる運命を描いた短編漫画です。活字が苦手な方はこちらをどうぞ。